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interview

にじのフモトでよろしく#07

100年コートに恋をして。
メイド・イン・ジャパンの
技術と誇りをつなぐ。

松田 麻里さん

出身地:東京都調布市
移住年:2020年
職業:会社員(株式会社サンヨーソーイング勤務)

1997年生まれ。文化学園大学服装学部ファッションクリエイション学科にて服づくりの企画・設計・生産・販売を学ぶ。
2020年、新卒で(株)サンヨーソーイングに入社。青森工場で働くため七戸町に移り住む。コート専業の同工場では縫製を担当。

〝日本唯一〟の
職場で働くため、
新卒でふるさと
東京から青森へ。

大学卒業までの22年間を家族と東京で暮らし、青森県は訪れたことさえなかった松田麻里さん。人口1万5000人余りの小さな町に、それでも住もうと決めた理由は、日本中でここ、七戸町でしかできない仕事があったから。

松田さんは都内の大学でオートクチュール(オーダーメイド1点ものの高級服や店)をはじめとしたファッションの知識・技術を修得。就職先に選んだのが、日本で唯一、そして世界でも珍しいコート専業ファクトリー『サンヨーソーイング青森工場』です。1969年の設立以来、質の高いコートを生産し続けて半世紀。現在は総合アパレルメーカー『三陽商会』の製品をはじめ、パリ・コレクションや東京コレクションに出品するブランドのコートも多数手がけます。
その技術は国内随一と評され、中でも『100年コート』は、人々を魅了しています。
ミシン縫いと手縫いを組み合わせてできる美しい襟元のカーブ、動きを邪魔せず着心地のいいシルエット、いつでも左右対称に返るラペル。丁寧な作り、丈夫な仕上がりはもちろん魅力ですが、その名前に込められた意味は、〝100年着られるほど丈夫〟ということではありません。

手入れをしながら、ものを大切に長く使い、世代を越えて受け継いでいく。そんな日本古来の文化を、コートを通じて発信することを目指しているのです。
そして、特筆すべきは生地の織りから縫製まで、すべて国内加工であること。国内に流通する衣料のうち、国産はわずか2%といわれる現在、とても貴重な存在です。

「時を越えて長く愛される
服づくりがしたい」
移住で専用の
作業部屋ができた。

「クオリティの高い服づくりをする工場として、サンヨーソーイングの名前は授業でもよく聞いていて。計算しつくされたパターン(型紙)や高度な縫製技術に憧れていました」と松田さん。休日やプライベートタイムも服や小物づくりをしていることが多く、就職と同時に七戸町に移り住んだことに関しても「移住という意識はなくて、専用の作業部屋ができた感覚。好きなことを思いきりできている今が楽しいです」

とはいえ、世界有数のファッション都市・東京に居続ければ、次々生み出されるトレンドに触れられていたはず。ファッション業界に身を置く若者が雪深い青森に移住とは、少々意外な気もします。
「確かに、最初は家族にも友だちにも驚かれましたし、今でも心配されています(笑)」と松田さん。
「もちろん東京でも就職活動しました。でも、今のファッション業界は、安いコストで大量生産して、残ったらセールにかける。着る側も安く買って、飽きたら捨てる…みたいなことが大きな流れになっていて。私にとって服づくりは、売るところまでではなくて実際に着てもらえるところまでがゴール。そして長く着てもらえるのが理想です。学生時代から家族に服を作っていましたが、着心地を聞きながら改善していくことで『どうしたら大切に着たいと思ってもらえるか?』をいつも考えてきました」

「時を越えて長く愛される服づくりがしたい」 悩んでいた4年生の秋、思い出したのがサンヨーソーイングでした。大学内で行われる説明会に参加すると、即、工場長の青木豪さんに入社の意思を伝えました。しかし青木さんは、まず現地行きを提案。住環境の変化に戸惑うのでは…と心配したそうですが、松田さんの決意が揺らぐことはなく、運転免許取得、アパートの契約と、約半年かけて移住の準備を進めました。

そして取材時は、移住後3ヶ月が過ぎた頃。
あらためて生活実感を尋ねると「車は雪道に慣れてから買う予定なので移動は徒歩。でも職場は東北新幹線の七戸十和田駅から徒歩30秒、アパートも駅前エリア。駅前がもう少しにぎやかになってくれればとは思いますが、駅前のショッピングセンターや、新鮮な地元野菜を買える道の駅でほぼ何でも揃います。家族とは毎日SNSで連絡を取るし、デザインのヒントもSNSから。意外と不便は感じませんね」とのこと。

経験と時間を積み重ねて、
普遍的な価値を生み出す。

現在、サンヨーソーイングでは100名弱の職人が働き、そのほとんどが地元の女性たち。型紙づくり、裁断、縫製、アイロンがけ、出荷作業など細かく工程が分かれた分業体制の中、松田さんは縫製を担当しています。
「1点ものじゃなく工業製品なので、各部門がきれいに、かつ早く仕上げないといけない。先輩は皆さん勤続20年、30年で、縫うスピードも正確性もすばらしいです。コツを掴んだ!と思っても、まだ同じようにはできないんですよね。経験、時間の積み重ねが必要だと痛感してます」 少し悔しそう、けれどとても楽しそうに話す松田さんには〝企業に就職した〟より〝職人が修業を始めた〟という表現がぴったり。

「流行が変わっても年齢を重ねても、誰もが『やっぱりこれ!』と感じる普遍的な価値って、絶対ある。このクオリティなら長く愛してもらえるっていう自信が持てるから、ここで服づくりに携わっていたいんです」と松田さん。
七戸町から望む八甲田の山々や、夜空に輝く星のように。ここで生まれるコートも変わらない魅力をたたえ、多くの人の人生に寄り添う。それを可能にしているのは、職人の手から手へ受け継がれてきた〝技術と誇り〟という名のバトン。バトンは今また、次の世代へ手渡されようとしています。